1998年7月25日に起こった「和歌山カレー事件」。
夏祭りで提供していたカレーに毒物を入れたとして
林真須美さんが逮捕され、2009年に死刑判決が下されました。
しかし林真須美さんは無実を主張しており、
警察が林真須美さんを犯人に仕立て上げたのでは?とも言われています。
今回は、和歌山カレー事件で
警察が暴力で林真須美さんに自白させようとしていたことや
目撃証言を印象操作していたことについてまとめました。
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目次
警察が暴力で自白させようとしていた
林真須美さんが和歌山カレー事件の容疑者として逮捕され、
和歌山東署で連日長時間にわたって、厳しい取調べが行われたそうです。
林真須美さんは取調べ3日目に、
「頭が変になり、目に幻覚というものが見えてきて、気が狂いそう」になったと、
夫である林健治さんに宛てた手紙に書いています。
その手紙の内容がこちら↓
一人の刑事が「やりました」の五文字を書けと言って、座っている私の左腕を思いっきり殴ってきた。私は殴られたとき目が覚め、立って右手をぐうにして、思いっきり刑事の左のほっぺたを殴り返してやりました。向かいにいてた他の刑事は、殴り返したことにとても驚いていた。
私を殴った刑事は、私に殴られたことで刑事のプライドがとても傷ついたことを理由に、激しく暴れて、そこらを蹴とばして出ていきました。私のことを「殺しちゃろか」というので、「根性あるなら、今ここで殺せ」といってやりました。
他の二人の刑事は、私に、「ええ根性した女やなあ」といってきたけれど、私は四人の子どもがいたからとても強く三カ月おれました。最後の方には無理矢理ボールペンで「やりました」と書かされそうになったことも何度も何度もあった。
(現代ビジネスより引用)
かなりひどい取り調べが行われていたようですね。
暴力や暴言で無理やり「やりました」と書かせようとするという
警察の取り調べ方法は強引すぎます。
それでやり返したという林真須美さんの根性もすごいですが・・・。
こんな取り調べを連日受けていたら精神的におかしくなってしまいそうです。
最近では、行き過ぎた取り調べを防ぐために録画などの可視化が進んでいるそうですが
昔は暴力を振るって取り調べを行うことはよくあったみたいです。
6日深夜放送の「ギリギリ昔話~生きる伝説に聞きました~」(フジテレビ系)で、元兵庫県警警部補の飛松五郎氏が、過去の取り調べで容疑者を暴行した事実を告白する一幕があった。
(中略)
飛松氏は「とにかくヘドが出るまで全てを吐かしていました」と明かし、特に暴力団に対しては容赦なく「蹴ったり殴ったりの暴力もありました」と明言した。
(LivedoorNEWSより引用)
いくら犯罪者相手とはいえ、暴力は許させることではありません。
警察・検察が目撃証言を印象操作
林真須美は黒いTシャツを着ていた?
検察は、犯行に及ぶ機会があったのは、
事件当日の午後0時20分頃から1時頃まで
1人でカレー鍋の見張りをしていた林真須美さんだけであると主張していました。
そして裁判では目撃情報により、林真須美さんは当時白いTシャツを着ていたとされています。
しかし、事件当日に林真須美さんを目撃した他の住民たちの誰もが、
捜査段階で林真須美さんの服装を「黒だった」「黒っぽかった」と証言していたとのこと。
加えて、林真須美さん自身も二審の公判で
「事件当日は黒いTシャツを着ていた」と証言しました。
林真須美さんは
「白いTシャツ姿だったのは、一緒にいた(自分の)次女。
カレー鍋のフタをあけたのも次女で、味見をするためだった」と証言しており、
これは次女の証言とも合致する内容です。
また、事件当時は中学2年生だった林真須美さんの次女は、
写真週刊誌『フライデー』に眞須美被告人と誤認され、
その姿を撮影された写真を掲載されたほど、林真須美さんと背格好が似ていました。
なので、白いTシャツを着ていたという目撃証言は、
林真須美さんの次女を林真須美さんと見間違えたと捉えるのが普通だと思います。
しかし判決では林真須美さんが黒いTシャツを着ていたという証言を
「他の住民らの証言とことごとく矛盾する」とし、
次女の証言を「関係住民の供述と大きく食い違う」「母親をかばうための虚偽」とし、
林真須美さんが次女と一緒にいたことを否定したのです。
多くの人が黒のTシャツを着ている林真須美さんを目撃していたのにも関わらず
検察が「白のTシャツを着ていた」と決定づけるのは強引なように思えます。
ガレージにヒ素は置いてなかった?
また、林真須美さん一家が以前住んでいた家のガレージから、
ヒ酸入りの缶が見つかったと警察の捜査報告書に書かれていたのですが、
それも警察が作り上げた嘘のストーリーである可能性があるのです。
林一家の旧宅のガレージから発見・押収されたという缶入りの亜ヒ酸についても、不可解なことがある。この缶の発見経緯から説明しよう。
この家は善明寺という園部の隣町にあり、事件発生当時の住人は林夫婦の知人男性のT氏である。林夫婦は事件の約3年前、この家をT氏に売却したのだが、園部に引っ越し後もT氏に頼み、所有物の一部をこの家のガレージに置かせてもらっていた。そのことから警察はこの家のガレージを捜索し、亜ヒ酸入りの缶を見つけたという話になっている。
ところが、T氏は3年以上もこの家に住んでいたにも関わらず、公判で弁護人の尋問に対し、そのような缶の存在に「全然気づかなかった」と証言しているのだ。
このT氏とは、私は会うことができた。問題の缶入り亜ヒ酸が発見された家宅捜索をT氏は「ヒ素がガレージから出てきたと警察に言われたけど、俺はあんな缶、全然見覚えがない。あの時はビックリしたわ」と振り返り、こう言った。
「それから、俺はたしか居間におったと思うんやけど、警察にガレージに呼ばれ、棚にあった缶を『指させ』と言われたんや」
これは、非常に興味深い話だ。
というのも、この家宅捜索にあたった捜査員の証言によれば、T氏は缶入りの亜ヒ酸が発見された際、発見場所のガレージの捜索に「ずっと立ち会っていた」という話になっている。そして、そのことを裏づける証拠である捜査報告書には、ガレージの棚に置かれた亜ヒ酸の缶をT氏が指さしている写真が添付されている。
しかし、T氏が私に語ったことが事実なら、捜査員の証言は虚偽であり、捜査員が問題の缶を発見した際にT氏は、その場に立ち会っていなかったことになる。本当にそうならば、この亜ヒ酸の缶について、T氏が見覚えがなかったという事実はきわめて重い意味を持つ。(『真日本タブー事件史』(宝島社・2008年5月20日発行)より引用)
以上の証言が本当だとすると、
警察や検察側が林真須美さんを強引に犯人に仕立て上げるために
嘘のストーリーを立てていたということです。
本当はガレージにはヒ素は無かったのにも関わらず、
警察がガレージからヒ素が見つかったことにしようとしたのかもしれません。
果たして、誰が嘘をついていて何が真実なのでしょうか?
過去の冤罪事件は?
強引な取り調べなどで冤罪で罪を着せられ、
過去には冤罪で死刑判決を受けた事件も多くあります。
死刑判決後に冤罪が判明した事件
・柳島四人殺し事件(1915年)
・鈴ケ森おはる殺し事件(1915年)
・箕面・母殺し事件(1916年)
・函館・丸山楼主殺し事件(1919年)
・岡山毒団子事件(1928年)
・中国行商人殺人事件(1929年)
・幸浦事件(1948年)
・松川事件(1949年)
・二俣事件(1950年)
・木間ケ瀬事件(1950年)
・八海事件(1951年)
・仁保事件(1954年)
・松山事件(1955年)
・山中事件(1972年)
和歌山カレー事件も
林真須美さんは冤罪ではないかという声も多く挙がっていますし
警察が強引に林真須美さんを犯人に仕立て上げたようにも感じます。
改めて慎重に調査し直すべきなのではないかと思いました。
まとめ
和歌山カレー事件で
警察が暴力で林真須美さんに自白させようとしていたことや
目撃証言を印象操作していたことについてまとめました。
林真須美さんが本当に冤罪なのかということは分かりませんが
警察が強引に犯人に仕立て上げようとしていたのですね。
果たして、林真須美さんは本当に犯人なのでしょうか?
真相が明らかになることを願います・・・。
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